イタリアの至宝「ビオンディ・サンティ ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」

いつもアルポルトカフェ日本橋高島屋店をご愛顧下さいまして、誠に有難うございます。

今日はお取り置きはしておりませんし、別にお勧めするわけでもないのですけれども、イタリアワインの頂点に君臨するワインのご紹介です。

とは言え、先月グラスワイン「トスコ」のところでもビオンディ・サンティの名声、その特異な性質については多少お話いたしましたので、今日はその歴史について述べたいと思います。

さて、「DOCG(保証付原産地呼称) ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」と言えば、今でこそ世界中のワイン愛好家の垂涎の的となっておりますが、ほかの有名なイタリアワイン「バローロ」や「バルバレスコ」、「キャンティ」などとは異なり、ある一族の6代にわたる努力と継承によって生み出され、イタリアを代表する高級ワインとしての名声が確立されました。

もともとギリシャの植民地時代から葡萄栽培の歴史を持っている筈のイタリアでしたが、政治的理由からか、それともイタリア人の気質からか長い間高品質のワインを作ることは忘れられており、ほとんどが地元で消費されるテーブルワインでした。このワインの生まれたトスカーナ州モンタルチーノ村も、長年、甘口の白ワインや軽口ワインを作っていたそうです。

しかしある時、この一家の現当主より6代前のクレメント・サンティは、自らの農園(テヌータ・グレッポ)で、元はキャンティなどで使用されるサンジョヴェーゼ種のクローンのうちに大粒の突然変異種を発見しました。

それは香り、タンニン、酸が驚くほど豊富で、凝縮した香味がありました。彼はこの葡萄を増やして「ロッソ・セルト」というワインを造り、1856年のロンドン万国博覧会をはじめ、1867年のパリ万国博覧会でも受賞、後にはイタリア国内の「1865年度優秀赤ワイン」に選ばれました。

さて、一家のワイン事業はクレメントの孫フェルッチョに至って、躍進します。熱心な農学者であった彼は、フィロキセラ(ヨーロッパの葡萄園を壊滅させたネアブラムシ)の被害によって、自分の葡萄園の新しい台木のすべてに祖父から受け継いだ葡萄樹を接ぎ、この品種だけで作る新しいワインの研究を開始しました。

しかしこの品種は、驚くほど強烈なタンニンや酸を持っていたので、それだけで醸造すると、非常に苛烈な味わいのものになりました。そこでフェルッチョは、バローロなどで伝統的に行われていたスロベニア産大樽での長期精製を取り入れ、タンニンと酸を調和させることを試みました。

こうして、力強く、かつしなやかな長熟ワインが誕生し、1888年に彼は「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」という名のワインを世に送り出しましたのです。

さて、第一次世界大戦後、フィロキセラの再来により、多くの葡萄園が再び壊滅状態になりました。フェルッチョの息子タンクレディビオンディ・サンティは、地域のワイン生産者で力を合わせる必要を感じ、彼の父が村の中心に建てた貯蔵庫を皆に開放して、壊滅した葡萄畑にブルネッロ種を植えることを提案しました。

しかし、組合を組織しても、若い葡萄畑ばかりなので生産量は増えず、品質が向上しないためブルネッロ種が必要とする長期熟成を果たすことはできませんでした。貧しい生産者としてはできるだけ早く、多くのワインを売ることが必要でしたし、当時、高品質のイタリアワインは需要もほとんどなかったからです。試みた生産者もいくつかありましたが、この品種を正しく栽培し、醸造、熟成させる困難に直面し、すぐに投げ出してしまいました。

結局、1950年にこの共同貯蔵庫は閉鎖されたそうですが、タンクレディは自らの醸造所内に最先端の貯蔵庫を建設して、彼の父が19世紀の終わりに購入したスロベニア・オークの樽と古いヴィンテージ・ボトルを全て運び込み、そこで父祖が確立した正統的な製法を頑なに守ることに没頭して、1945年ヴィンテージで国際的な成功を収めると、1964年にはDOC委員会にブルネロ・ディ・モンタルチーノの製造規格を提出し、2年後には認定を受けました。

これにより、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノを名乗るワインは、BBS11=ブルネッロ、ビオンディ・サンティの選別した11番目のクローンのみを用い、合計5年間という他に例を見ない長期熟成が法的に定められることとなりました。
後に、タンクレディビオンディ・サンティの作ったこの1945年ヴィンテージは、著名なワイン評論誌ワインスペクテーターの「20世紀の12本」にイタリアワインの中から唯一選ばれました。

かくして、ビオンディ・サンティ家の収めた世界的な成功により、2005年の統計では、240の蔵元で600万本を超えるブルネッロ・ディ・モンタルチーノが生産されるに至り、最も貧しかった農村が今や最も裕福な農村へと変貌しました。

1988年、モンタルチーノ議会は、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの100周年を祝いました。フェルッチョ・ビオンディ・サンティが生み出した1888年ヴィンテージのブルネッロ・リゼルヴァは、21世紀の今でも輝かしい色合いと驚くほどの鮮度を保っており、世界的な評論家は、「ほどよい深みのある輝かしいルビー色をしていて、清らかで完璧な調和を持ち、時に磨かれた高尚さと深遠さを体現している」と評価しました。

2008年、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの大手生産者が産地と原料の偽装疑惑で摘発され、世界中のワイン業界・愛好家に激震が走りました。このときもやはりブルネッロ・ディ・モンタルチーノのイタリアで最も厳格な製造規定がやりだまとなり、新規参入業者を中心に規制緩和を提唱されました。しかし、ビオンディ・サンティ家の現当主フランコビオンディ・サンティは父祖の定めた厳格な製造規定を変更することを承諾せず、原型と伝統に基づく製法に回帰するよう訴え、多くの生産者の支持を得ました。

ビオンディ・サンティ家の貯蔵庫には今もなお、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの原型である1888年と1891年のヴィンテージをはじめ、傑出したヴィンテージ・ボトルと最初から現在までの全ての年度の気候・醸造データ等の詳細な資料が保管され、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの歴史を刻んでいます。

さて、本題の自慢話ですけれども、私はビオンディ・サンティのワインを一番飲んでいる日本人だと思っておりますが、お客様やスタッフには決して勧めません。いくらでもその話をすることはできますが、注文となるとのらりくらりとかわしております。

なぜかと言えば、高額であることももちろんですが、高級ワインの中でもこのワインは特に飲み手にも高度なものを要求するからです。

また特にこのワインは、いや世界中でこのワインだけは、ほかの高級ワイン、あるいは人気ワインとは全く異なって、飲み手に媚びるようなところやわかりやすいところが全くないからです。

昨今のワインと言えば、安価なものも高価なものも一様に飲みやすい。高価なものになれば、非常に派手派手しく、重量感があります。

でも、このワインにはそんなところは微塵もありません。非常な輝きのある淡い色合い。清々しいアロマ。重さなど全く感じさせない完璧なバランスと調和。

ピアノ曲で譬えると、ショパンラフマニノフ、あるいはドビュッシーのような昨今の高級ワインに対し、このワインはバッハ、しかも「平均律クラヴィーア集 第一巻 ハ長調のプレリュード」のようなものです。

旋律と言えるような旋律のない、和音の分散のようなあの曲に、このワインはそっくりです。

何もない。しかし飲み手の心のすべてを映し出す鏡のようなのです。

また、正直に言うとこのワインは、上記のような歴史的なエピソードを知っていてこそ、本当に味わい深く感じられるとも私は考えるからです。

昨今はエピソードはおろか、ワインの名前も知らずに味わう「ブラインド・テイスティング」が流行しておりますが、私からすればそれは歌を聞くのに歌詞を聞かないようなものであって、まことに意味がありません。

このワインはこのように非常に美しく感動的なエピソードを備えている世界でも数少ないワインです。有名なエピソードを持つワインは確かに世界中にたくさんありますが、単に「偶然の産物」とか「ロバート・パーカーが100点をつけた」等のシンデレラ物語が多いです。

でもこのワインのエピソードは、この一家に脈々と受け継がれる信念と自然や伝統への敬意と愛情が生みだしたドラマであり、これほど美しいエピソードが奇跡的に恵まれたワインなのに、それを知らず、それを聞かずに味わうなどは全く意味のないことだと思ってしまいます。

確かに、現在「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」と言えば、ジャン・フランコ・ソルデラとかサルヴィオーニ、近年リリースされたルーチェなどが人気で、ビオンディ・サンティはほとんど法外な値段であることと扱いにくいこともあってあんまり人気がありません。

でも、それはこのワインが時代の流行とは無縁の境地に経っているからだと思います。ボルドーにしても、ブルゴーニュしても、時代に迎合して、その製法やスタイルを変えています。しかし、このワインは変わりません。

私たちも喋り方や着る物とか食べる物とか、あるいは仕事とかのスタイルは時代によって変化していきますが、でも時代や個人を超えた人間の普遍的な性質というのは変わりません。

だからこのワインを私は愛し、悩みがあるときとかつらい時とかに独りでじっくり飲む特別なワインとして家に保存しています。

皆さまにも、このワインに関しては一人で、料理なしで、じっくりと向き合っていただきたいと思っています。

でも、どうしても解説者がほしいというのならば、代金先払い、予約抜栓でお請けいたしますので、ご相談ください。

2003年 ¥36,000

2001年 ¥40,000

1999年 ¥60,000

1999年リゼルヴァ ¥150,000

1990年リゼルヴァ ¥250,000

1982年リゼルヴァ ¥600,000

1970年リゼルヴァ ¥350,000

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