ワインの魅力 1


いつもアルポルトカフェ日本橋高島屋店をご愛顧下さいまして、まことにありがとうございます。

さて、最近私はインターネット上にワインのテイスティングコメントを投稿できるサイトを発見しました。そこでは一般の方(中にはインポーターや酒屋さんも紛れているようですが)が自分の飲んだワインの感想などを書いていくのですが、中には一本数十万円というワインのコメントなども多くあります。

その財力も驚くべきものでありますが、一体どうしてそれほどまでワインに夢中になっているのか、ちょっと考えてしまいました。

もちろん私自身も同じ人種と言えなくもないのですが、本当のことを言えば、ワインよりも日本茶のほうが好きです。お茶の渋いのは美味しいと思えますが、渋いワインは飲みたくありません。ですから恐らく私はワインを然程好きではないのかも知れません。

にも関わらず、私は最近ワインをよく買い、よく飲みます。よく買い、よく飲むのに、滅多に美味いとは思わない。美味いとは思わないのに、よく買い、よく飲む・・・。我ながらこれはさすがに可笑しな話だと思いました。ワインを飲んでもほとんど酔うことなどできないのに。

そこで、いろいろな人のテイスティングコメントを読むと、やはり多くの方が滅多にワインを美味しいとは感じていないようでした。しかも、高いワインほど美味しいと思えるものは少なく、安いワインほどまずいものは少ないというのが真実なようです。

それはもちろん、高い代償を払えばそれだけ期待が大きくなるから、十分美味しいものでもその代価に見合ってなければ納得されることはありませんし、反対に安価で入手したものであれば、さほど期待していないから、ちょっと美味しいだけで大きな満足を得ることができるからであるというのは言うまでもありません。

それにしてもまったく可笑しな話ではありませんか? 私はワイン以外で不味いお酒というものにほとんど出会ったことがありません。ワインだけは、不良品も含め、寿命が尽きてしまっているもの、著しくバランスを欠いたもの、出来損ないのものなど枚挙に暇がないことを知っています。

にも関わらず、どうしてワインを買い、飲むのか・・・?

一番最初に思い当たるのは、ワインは不味いものも多いけれども、極少数の感動的なワイン、あるいは自分好みのワインに出会ったときには、計り知れない感動があるからだということが言えると思います。

実際私は、100本連続で不味いワイン、或いは満足できないワインに当ったとしても、その次の一本が素晴らしいものであれば、もしくは自分が無意識に理想としていたようなものであれば、それまで100本のワインに払った多大な代償のこと、貯金が底をつくどころか、借金までして買ったことなど軽く忘れてしまいます。

第二にワインは、不味いものでも、いや寧ろ不味いものの方が、多くの場合、知的な興味を掻き立てるからだと言えるでしょう。これを身近なものに置き換えてみると、仕事上のことでも生活上のことでも、成功よりも失敗の方が味わい深く、記憶に残るのと同じだと思います。

だからワインを飲んでいると、物事が思い通りにいっても手放しで喜ばないし、その反対でも嘆かない、それどころか失敗の方こそよく味わおうという気になるのです。これは何も私だけではなく、多くのワイン愛好家にみられる共通点です。彼らのコメントを見ていると評価が高いものよりも低いものの方が内容が充実しているからです。

第三にワインは(芸術も同じですが)、自分が有している知識や経験を、存分に発揮できる対象だからだと思いました。とは言え、これは何もワインに関する知識や経験ではありません。

例えば、ワインを手にし、色や香りや味を確かめればすぐにお分かりいただけることですが、ワインは葡萄から造られているにも関わらず、ルビーとかレンガとか麦わらとか黄金の色をしており、香りは黒スグリとかチェリーとか胡桃とかなめし皮とか腐葉土とか葉巻とかミントとかの香りがします。

しかし、もし葡萄の色や香りや味しか知らなければそれらを認識することはできないでしょうから、ワインなど全く興味をそそるものではないと思うでしょう。また音楽も簡単に言えば12の音の配列と楽器の組み合わせに過ぎないのですが、それによって海とか春とか、ついには悲しみとか恍惚などまでが表現されます。しかしもしそういった情景とか情緒とかを体験したことがなく、ただ12の音と楽器しか知らなければ、音楽などはただの音遊びでしかないと思うことでしょう。

それと同じで、ワインを認識するために必要なのはワインの知識や経験ではなく、また世の中に数え切れないほどある個体の色や匂いや感触でもなく、自分自身をはじめとする人の性格や人生、その他自分の身の回りや、古今東西で起こった色々な出来事から受け取った記憶と省察なのです。

私はビオンディ・サンティを飲むまでに、自分があの<神の如き>プラトンを読んでいなければ、決して理解することも感動することもできなかったと改めて思います。またそのほか、中国の古典や徳川実記等を読んでいなければ、バローロが何ゆえワインの王様と言われるのかも分からなかったと思います。

またそのほか音楽をはじめ芸術や趣味、仕事、恋愛、生活上の色々な経験と、それに対する理解がワインを認識するのには役立ちます。というよりも、ワインによって、ほとんど忘れ去られるだけと思われていたものが俄かに活きてきて、またワインによって経験し、得た知識も生活や仕事上の色々な出来事に役立ちます。

だから私も含めワイン愛好家は自分がどれだけの知識や経験、そして認識力や思想を持っているかを試すため、またその経験によって、さらに自分の経験と思想を高めるため、敢て無謀とも言えるほどリスクのある高額なワインに挑もうとするのです。


(イタリアの至宝 ビオンディ・サンティのブルネッロ・ディ・モンタルチーノ

続きはまた・・・