ワインの選び方 2

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さて、ワインは飲食物ではありますが、別に人間の生存に関わる生理的必需品ではないということから嗜好品であるということが言えると思います。しかし単なる嗜好品ではないということは既に、「ワインの魅力」で述べたので繰り返すつもりはありませんが、私の考えでは、ワインは人をよくすることがあり、またその反対に人をよくないものにすることもあるということをこれから述べたいと思います。

例えば、食べ物には甘いとか辛いとか酸っぱいとか苦いとかで感覚を楽しませる香味という要素のほかに、栄養というものが含まれていて、それによって人の身体は保たれ、成長させられます。しかし中には毒を含んでいるものがあって、それによって身体は害され、衰退させられます。

しかしながら、この栄養や毒というのは必ずしも香味と結びついておらず、美味しいけれども栄養が乏しかったり、あるいは毒のあるものもあれば、不味いけれども毒はなく、寧ろ豊富な栄養を含んでいるものもあって、食べれば体にはよくないのに美味しいから好まれてしまったり、大変体には良いのに不味いために嫌われてしまっているものも多くあることは皆さんご存知の通りです。

では例を変えて精神の食物といわれる芸術はどうかというと、それは明るいとか暗いとか、或いは悲しみとか喜びとか、感性や感情を楽しませる要素のほかに、人格を養う教養というものや、その反対に毒する害悪というものが含まれていて、それによって人は立派なものなったり、堕落させられたりするようです。

しかも芸術の場合、その害が飲食の害とは違って目に見えにくいものであるということから、西洋でも東洋でも昔は音楽に厳しい法則を定めて、人の感情や欲望を開放させて堕落させたり秩序を乱したりするようなものは作りえないように厳しく制限されていましたし、音楽の原理を信奉して国家を律の原理で構築していた中国では、世俗の音楽を聴けば国民や国家の状態がわかるとまで考えられていました。

ロシア人の作曲家ストラヴィンスキーはそのバレエ「春の祭典」をパリで初演したときには、激しい拒否反応と幻惑させられた人々の対立で暴動が起こりかけたという有名なエピソードがあります。実際初演から100年が経ちますが、現代人の感覚でもこの音楽を聴けば、精神や肉体の奥に潜んでいる狂気的な、もしくは猟奇的な野生が勃然と目を覚まし、暴れまわるのを感じます。

またドイツ人の作曲家ワーグナーの、同時に歌劇の最高傑作と言われる「トリスタンとイゾルデ」は息が詰まるほどの超絶的な愛に誰しも心を奪われると作品となっていますが、恐るべき没理性のコスモポリタンが増殖するきっかけともなり得る作品だったと言えるでしょう。

さらに音楽史上最高傑作と呼ばれているベートーヴェン交響曲第九番は、爆発的な感情の高揚と精神の飛翔をもたらし、生の喜びと人類愛の思想を植えつけて自由と平等を激しく求めるようになるものであってみれば、当時の封建社会秩序を叩き壊す一つの原動力であったと最近になって思うようになりました。

それに比べて、中国から伝来した日本の雅楽は恐ろしく単調で感情の入る余地がなく、退屈極まりないものに感じられがちですが、我慢してしばらく聴いていると、それらの音が心の中に降り積もってきて、にわかに精神に重みが感じられるようになり、思考や意志、また所作などにまで重みや厳粛さが現れてきます。

またイスラム教の礼拝の呼びかけである「アザーン」は当然アラビア語なので何を言っているのか私にはわかりませんでしたが、意志が高揚させられ自己が削り落とされ、固く鍛錬させられるような気がしました。

ではワインはどうかといえば、それは飲食物と芸術の中間にあるように思えます。つまりワインは食べ物ほど身体の役に立ったり害になることも、また同時に芸術ほど精神を養うわけでも害するわけでもないようですが、しかし確実に何らかの影響を齎していると思われます。

その位置づけは丁度友人のようなもので、家族ほど密接ではなく教師ほどの支配力は持たないけれども、時には途方も無く強い(家族や教師以上の)力で以て、人の趣味や習慣をはじめとして態度やはたまた人生の歩む道にまで影響を及ぼします。

もちろん友人から強い影響を受けるのは、概して人が自己を確立していない若年期に限られており、自己が確立された後はその自分をさらけ出したり映し出したりする鏡のような役割を果たしてくれるでしょう。

しかしながら法律上は20歳でもって人は成人したといわれていますが、実際には個人差があり、今の時代では30歳くらいにならないと多くの場合人として十分なものになれないし、一人ひとりの趣味や思想も確立されないと言われています。

私個人のことを振り返ってみれば、20歳のころなどほとんど自己が産声をあげたかあげないかで、25歳くらいでやっとこさ目が見えるようになって、30歳になってはじめて物を言うことができるようになったのはよいものの、未だに何を言っているのかわからんとあっちこっちから糾弾されているという始末です。

まあこれは極端に出来の悪い私の場合に過ぎないので、すべての人に当てはまるなどとは微塵も思っていないのですが、少なくとも20歳でお酒を飲めるようになったからといって、人は誰でも自分の気に入ったワインを好きなように飲むべきだなどということは決して言ってはならないということになるでしょう。

ところで、何が悲しくてワインの選び方を論じはじめたところでこんな小難しい話になってしまうのかといえば、人の服装が、人の顔立ちや体つきよりも、その人の性格を現しているのと同じように、ワインの外装は、ワインの香りや味よりもワインの性格を表しており、ワインの性格の現れたワインの外装によって、私たちはほとんど数限りなく存在するワインの中から好ましいものと好ましくないものとを分別することができるということがいいたかったからです。

次でおしまいです。

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